四季折々の風情が水面に映る
伊達政宗ゆかりの命名、幕末の国事斡旋の舞台ともなった大名庭園。
七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ
馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん
という漢詩から採ったもの。 書院式茶亭である潜渕館(せんえんかん)は、大正11年、昭和天皇陛下が皇太子のころ、天赦園御成の際の御座所にあてられたこともあります。
太鼓橋状の藤棚や珍しい竹に感激
園内には多くの藤棚があり、中でも池上にかかる太鼓橋式の藤棚にかかる白玉藤は、この園ならではの風景となっています。また、伊達家の家紋「竹に雀」にちなみ、さまざまな珍しい種類の竹が池を巡るように植栽されています。毎年6月の上旬になると、花菖蒲が満開になり、またひとしおの眺めとなります。